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「後回し」が自分と向き合うきっかけ!?積読から読み解く人生のヒント

「今日こそは!」と覚悟を決めてはじめたことってありますか?
早起きして語学の勉強をする、noteを更新するなど、自分が「やりたい!」と思ってはじめることは人によってさまざまあると思います。

ただ、決意を新たにしても気がつくと「後でいいや」「明日やろう」とついつい後回しにしてしまいどんどんやらなくなる……。
そんな経験ないでしょうか?

そのひとつが読みたくて買ったはずの本を、読まず積んだままにしてしまう「積読(つんどく)」という行為。今回はこの「積読」を通して、「やりたくてはじめたことなのに、ついつい後回しにしてしまう」習慣を考えてみます。


やりたいはずなのに取りかかれない「後回し」を考える

自分が好きでやろうと思ったことなのに、丁寧に向き合いたいが故タイミングを計ったり、「いまじゃない」と思ってしまったり。そんな「後回し」の経験ってありますよね。

今、この記事を読んでいる方々の中にも、「記事を書きたくてnoteを始めたのに、なかなか書けずに更新頻度を上げられない」なんて人もいるのではないでしょうか。

 「積読(つんどく)」とは、本や新聞、雑誌等の書籍を読みたくて買ったはずなのに、机の上などに積んでいるだけで読むのを「後回し」にしてしまう状態のこと。読みたくて買った本に手をつけずに置いておくことは、どこか後ろめたさやプレッシャーを感じるかもしれません。

そんな「積読」を通じて「後回し」を考えるべく、書評家の永田希さんにお話を聞きました。『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)という著書も出している永田さんが考える「積読」とは?

「情報の過剰供給」から我が身を守る「積読」

「積読」というと本好きの人だけに起こる現象のように思えますが、「積みゲー」や「積み録」、ほかにもサブスクリプションに登録して「いつか観よう」と思っている動画など、現代人は何かしらの「積読」的なものを持っているのではないかと語る永田さん。後回しが発生するメカニズムについて、「現代ならでは」といえる理由があるのではないかと分析します。

永田:書物って、なんとなく「手に取ったらすぐに読み始めて、最後まで一気に読まなければいけない」みたいなイメージを持つ人が多いですよね。書物そのものが「はやく私を読んで!」と迫ってくるように感じませんか?

現代は書物以外にも動画や音楽、ゲームなどのいわゆるコンテンツといわれるものが、毎日、毎時、毎分、毎秒と、もの凄い量で目の前に提供され続ける状態になっています。そんな、過剰なまでに情報が供給されるなかで1冊の本に向き合うのは、それぞれの生活の時間があることを考えると、環境的にも大変なことです。

現代人が過度な情報に触れないでいるのは困難なことだとしつつ、その状況に身を委ねたままでいることは「自分自身の状況をとらえきれていないのではないか」と危惧する永田さん。情報の過剰供給のなかで自分を見失わずに立ち位置を確保するために、「積読」が有効な手段になると考えるそうです。

永田:「積読」で概念的に自分を守るための繭や殻のようなものをつくることを提唱しています。例えば「情報の過剰供給」という自分では操作できない大きな川の流れがあるとします。そのとき、その流れから少し離れて、自分なりの池のような場所をつくって周辺に石を並べたり、なかに魚を放してみたりするんです。そしていわゆるビオトープのような自分好みの心地よい環境をつくることが、自分を守ることになるのではないかと私は考えています。

自動的に情報が流れ込む状況に甘んじるのではなく、「積読」という自分で選んだ書物たちを身の回りに置く。そのことで、自発的な情報収集の形をつくり上げ、自分の立ち位置を確保してはどうだろうかと永田さんは話してくれました。

「積読」が未来の自分をイメージする手助けに

そして永田さんは、あふれる情報のなかに自分で選んだ書物を積むことは、「現在の自分」だけではなく、「未来の自分」を考える手段になるのではないかと考えるそうです。
 
永田:「情報の過剰供給」や「ビオトープ」の話をすると、空間的な世界観の話だと思われるかもしれないのですが、「積読」は時間的なニュアンスも含んでいると考えています。読むのを「後回しにする」というとネガティブなニュアンスを感じますが、言い換えれば「スケジュールをつくる」ことでもあると思うんですね。

「積読」で自分を守るための繭や殻のようなものをつくる

永田:「これから先の人生で、どういう読書をしたいのか」を考えられるようになるのも「積読」のメリットだと思います。「読みたい」「読むべきだ」と考える書物たちを構築することが、自分が将来的にどうなりたいのかをイメージする助けになるのではないかと。
 
気をつけないといけないのは、ただ本を積み上げるだけでは過剰な情報に身を委ねているだけの状態と変わらないので、ときに自分の「積読」を点検して、その本をまだ積んでおきたいのかどうか、メンテナンスすることを忘れてはいけません。

とはいえ、積んだままで読めていない本が身近にあると、どこか後ろめたさを感じてしまうもの。その疑問に永田さんはユニークな視点で答えます。

永田:「読書」ってとても個人的なもので、例えば、あなたの印象に残っている好きな本を挙げてくださいと言われて思い浮かべても、その本を最初から最後まで完全に覚えている人はいないと思います。

どんな人にも何らかの見落とし、読み落としはあるわけで、まして、内容の解釈については人それぞれで異なってくる。真の意味で「読み切れた」と断言することは不可能ではないでしょうか。極論ですが、「読んだ本」も「あらすじが気になって積読している本」も、状況的にはそれほど変わらないのです。

日常の些細な習慣から自分自身を紐解く

「積読」というと、日常のなかでついついやってしまうネガティブな習慣だと思い込んでいましたが、解釈によっては、現在の自分をとらえ、未来の自分を考えるはじめの一歩になるというユニークな視点を永田さんは与えてくれました。

確かに「積読」でつくった自分だけのテリトリーは自分自身を守ることになりそうですし、永田さんがお話のなかで語ってくれた「守らなければいけないのは生活をするための時間」という一言も印象に残りました。

とにかく時間が足りないと感じてしまう毎日のなかで、「積読」という方法で余裕をつくり、自分自身と向き合うタイミングが持てることは、これから先の人生に豊かさを与えてくれるような気がするのですが、みなさんはどう感じたでしょうか?

みなさんも今回の「積読」のように、「やりたいけど後回しにしている」習慣に心当たりはありますか?
人によっては、うしろめたさを感じている習慣も細かく掘り下げてみると多様な面が見えてきて、それは人生に向き合いポジティブな要素を追加するきっかけになるかもしれません。

LION Scopeでは、「習慣」についてこれからも広く・深く探究していきます。みなさんも「習慣」について一緒に考えてみませんか?


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