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「幸せ」のための頑張りがストレスに⁉習慣との向き合い方を考えてみる

みなさんはどんな時に「幸せ」を感じますか?
家族や友人とかけがえのない時間を過ごしたり、仕事で成果を残したり、大好きな趣味に没頭したり、人によって「幸せ」の価値観はさまざまです。


現代を生きる人間の「幸せ」とはなにか?

その幸せのために普段の生活でどのようなコトをしていますか?
健康のために運動したり、気持ちよく過ごすために毎日の家事を工夫してみたり、効率よく働くための方法を模索したり、、、
日常生活の中で様々な試行錯誤や工夫をすることは、「幸せ」になるために当然のこと、と考えるかもしれません。
 
ただ、幸せになろうと頑張りすぎて、かえって精神的な安定を失っていたりしないでしょうか?
「やらなければいけない」「しなきゃいけない」と追い詰められて、その行動を習慣にしようとすること自体がストレスや重荷になっている人を見かけることもあります。

なぜ幸せになるための習慣づくりが、時に重荷になってしまうのでしょうか?

「幸せ」のために「しなきゃ」と思うことがストレスや重荷になってしまうことも……

湧き上がるモヤモヤの原因を考えるヒントを手に入れるため、今回は『こころを磨くSOJIの習慣』などの著書をはじめ、「習慣」について多角的な情報を発信されている松本紹圭さんにお話をうかがいました。

僧侶/武蔵野大学客員教授/株式会社Interbeing代表取締役 松本紹圭さん

松本さんは東京神谷町・光明寺の僧侶として活動するかたわら、インド商科大学院(ISB)にてMBAを取得後にお寺経営塾「未来の住職塾」を開講するなど、既存の枠を越えて現代仏教の可能性を追求されています。

「苦」を知ることが「幸せ」につながる

まず、仏教において「幸せ」とはどのように定義されているのでしょうか。期待に反して、松本さんは仏教においては「これが幸せである」という形はないと教えてくださいました。

松本:仏教の根本に「苦」を見つめていくというものがあります。開祖であるブッダは「人生は苦である」と見い出しました。生・老・病・死という四苦に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦をプラスした「四苦八苦」という言葉がありますが、いずれにしても「苦」なんです。

「四苦八苦」とは人生を取り巻く様々な苦しみ

松本:では、仏教における「苦」とはなにかと言うと、「自分の思い通りにならない」という想いですね。意味としては「不満足」のほうが近いのではないかと言われます。不満足は「これじゃダメなんだ」「こうあらねばならない」という状態で、現状とは違うなにかを求めて、そのギャップに苦しむわけです。

では、その「苦」をどうすれば乗り越えられるのかと言うと、身も蓋もない答えですが、「思い通りにしたいと思わなければいい」ということですね。「執着」という言葉もあります。生きていると「ああしたい」「こうしたい」という執着がどうしても生まれてきます。その「執着」をいかにして手放すかということが重要になります。

松本さんは仏教においては「苦」を見つめることが重要であり、「苦」を知り裏返すことが「幸せ」につながる、そして、執着を手放すことが「苦」からの解放につながるということを教えてくださいました。

ただ、そうなると「幸せになるための習慣づくり」はまさに執着そのものということになってしまうかもしれません。やはり「習慣」は重荷になってしまうのでしょうか?
松本さんに仏教における「習慣」の意味についてお話を聞くと、「習慣」を続けるための大事なポイントが見えてきました。

人生はダイナミックに変化しつづけている

松本さんは仏教において「習慣」はとても重要な意味を持つと語ります。

松本:仏教には「戒(かい)」「定(じょう)」「慧(え)」という根本的な三要素があります。人間が育っていく過程を木が育つ様子として例えたときに、「戒」が根っこで、「定」が幹、「慧」が果実なんです。

仏教の基本的な教えである3つの学び

松本:根っこの「戒」は、「戒律」という言葉もあるので守らなければいけないルールという響きに聞こえるかもしれませんが、もっと日常で言うと「習慣づくり」ということです。人間は「習慣」によって形づくられているわけで、それをしっかり整えていくことによって自然と私たちの根っこが整ってくるということです。ですから、「習慣」が生き方の根幹にあるとも言えます。

そして、「習慣」を続けることがストレスになってしまうようなときは、「無理をせずにちょうど良いところを行く『中道』という考え方が重要」と話してくださいました。

 松本:掃除を例に出せば、「完璧にやろう」としないことが大事で、なぜなら、完璧は存在しないんです。どこまでいってもチリはあるでしょうし、探せばいくらでもやることが出てくる。そして、やったと思ったそばから落ち葉は落ちてくる。終わりのない営みなんですよね。
では、どう向き合うかというと、一生懸命やるけれど完璧は求めない。

完璧を求めるのは人間の自然な思考だと思います。特に現代人は完璧主義に苦しんでいる人もいて、100%というあり得ないものを求めてしまったりする。
私は、どこかの一点を切り取ってそこを100%とイメージして目指していく考え方を「スナップショット思考」と言ったりするのですが、実際に生きるということはダイナミックに変化しつづけているものなので、切り取って形にするのは、そもそも無理なことなのです。

状態としてどこか1点を切り取りたくなる「スナップショット思考」を踏みとどまることが「幸せ」を考えるときに重要ではないかと思っています。

松本さんのおっしゃる通り、人生は川の流れのように常に変化していて、同じ状態をキープし続けることは不可能と言っても過言ではありません。そう考えると幸せとは「点」ではなく、「流れ」そのものなのかもしれません。

「習慣」が流れをせき止めてしまいそうなときは無理をしないで、すこし気持ちを緩めてみる。「無理な日はやめてもいいぐらいのモードが重要だと思います」という松本さんの言葉が胸に響きました。

「習慣」との上手な距離感が「幸せ」を導くカギに

「習慣をつくるということは、自分自身をつくっていく、整えていくということですし、どう生きたいかということに直結していることだと思います」と、習慣が人間にとって終わりのない営みであると語ってくれた松本さん。それと同時に、完璧が存在しないことを知った上で「習慣」と付き合って、やらない日があってもいいぐらいの感覚でよいのだと気づかせてくださいました。

「習慣」との上手な距離感がポイント

「幸せのための習慣づくりがストレスになってしまう」という状態は、幸せを人生の目的地のように限定的にとらえてしまった結果なのかもしれません。

「習慣」は大切だけれど、重荷になるまでやることではない。
自分にとってがむしゃらに「幸せ」を求めるのではなく、「習慣」との上手な距離感をつかんで自分自身を見つめ続けることに本当の「幸せ」を知る近道があるような気がします。

LION Scopeでは、「習慣」についてこれからも広く・深く探究していきます。みなさんも「習慣」について一緒に考えてみませんか?

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