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「寝る前の歯みがき」を習慣に。二代目の生活者への寄り添い方

メイン画像:左図は、二代目の時代につくられた子ども向け絵本の表紙。画:河目悌二

私たちが普段、当たり前に行なっている「寝る前の歯みがき」。しかしライオンの前身である小林富次郎商店が「ライオン歯磨」の発売を開始した明治時代は、朝一回の歯みがきが主流で、夜の歯みがきは一般的ではありませんでした。

そのような日本において、朝と寝る前の歯みがきを提唱し、習慣化するために奔走したのが、ライオンの二代目社長・小林富次郎(以下、二代目)です。彼の活動は、いまライオンが掲げている「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」というパーパス(存在意義)の基礎にもなっています。

二代目はなぜ、口腔衛生の普及に心血を注いだのか。そして、それはどのように行なわれたのか——。この記事では、歴史を振り返ることで、二代目の時代から現在まで続く、ライオンの「習慣づくり」について紐解いていければと思います。

むし歯に悩む人が増えていた明治時代

二代目はなぜ、オーラルケアが社会貢献につながると考えたのでしょうか? それには、当時の時代背景が大きく影響しています。明治時代以降、日本の食生活は大きく変化し、多くの人が甘いものを食べられるようになったため、むし歯に悩む人たちが増えていたと言われています。

歯科医師の身分や業務が規定されるなど、オーラルケアが人々の注目を集めはじめてはいたものの、まだまだ日本の口腔衛生は発展途上の状態でした。なかでも子どもたちは、むし歯の痛さから学校を休むこともあったそうです。

ここで二代目の経歴を振り返ってみようと思います。

二代目は1872(明治5)年生まれ。初代社長である小林富次郎の甥っ子として生まれ育ち、後に養子に迎えられました。

13歳のときには、全国に教科書を出版・販売する「金港堂書店」に丁稚奉公に出ました。この奉公の際、二代目はさまざまな教材に触れ、「教育」に関心を持つようになったと言われています。

1896(明治29)年に発売されたライオン初の粉ハミガキ「獅子印ライオン歯磨」

金港堂書店での経験や、自身も子どもが12人いたこともあって、教育への関心も高かった二代目としては、多くの子どもたちを救うことにもなるオーラルケアが、社会貢献になると考えたのは自然な流れかもしれません。「小林富次郎商店」を継いで以降、彼はより一層人々に正しい歯みがきを身につけてもらえるよう、さまざまな活動を行なっていきました。

二代目の家族写真。後列中央の男性が二代目・小林富次郎

どうやって歯みがきを習慣に?優良な製品を提供することへのこだわり

では、二代目はどのようにして歯みがきを習慣化していったのでしょうか。彼が特に重視していたのは、「生活者目線」だったのではないかと思います。

代表例のひとつが、ハミガキです。二代目が副店主としてハミガキを製造しようと考えた当初、国産品や輸入品など、既にさまざまな商品が市場に出回っており、小林富次郎商店は後発組。製造のノウハウも持っていませんでした。

そこで二代目は、アメリカのハミガキ製造方法を知人づてに聞いたり、文献を読んだり、市場で販売されていたハミガキを購入して比較検討したりして、調査・研究を行なっていきました。

なかでも、特に重視したのは日本人の好みに合う香味(香りと味)づくりです。二代目の「香り」へのこだわりは相当なもので、後に国産香料を開発した総合香料メーカー、曽田香料創業者の曽田政治が「大旦那(二代目)の鼻は厳しくて、なかなか合格しない」と語っていたほどです。

研究を重ねたすえに生まれたのが、天然ミントを使用した香味でした。ミントの香りは、現在に至るまで、100年以上にわたってライオンの製品に使われ続けています。

「MINT PRIDE 〜天然ミントにこだわる理由〜」香味の王道とも言える特有の香りと爽快感を持つ天然ミントの味にこだわり、創業時の最初のブランド「獅子印ライオン歯磨」以来、天然ミントを使い続けている

二代目はハミガキ以外に、ハブラシの研究・製造にも取り組みます。それが、東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)の指導のもと開発した「萬歳歯刷子(ばんざいはぶらし)」です。

「ハブラシ」というネーミングを初めて使用したとされるこの製品は、歯の列と一致させた独特の形状のブラシで歯の清掃機能を高めたもの。持ち手は使いやすい形に湾曲しています。完全消毒・個別包装をして「完全消毒歯刷子」として発売しました。

その後、大人向けや婦人向け、子ども向け、さらには入れ歯などの義歯用といった、さまざまなライフステージに合わせたハブラシも開発していきました。

「萬歳歯刷子(ばんざいはぶらし)」の広告。ライオン型と呼ばれたこのかたちが、日本の歯ブラシの原型となった

歯みがきは本来面倒。だからこそ興味をひくための創意工夫を

製品の品質にこだわっていた二代目ですが、一方で「単に製品をつくるだけではダメだ」とも当初から考えていたようです。

「健康は歯から」をスローガンに、幼少期からの歯みがき教育を自身のライフワークにして、製品を使う必要性や使い方、使ったことによるメリットを人々に伝えるために、多様な活動を行なっていました。

1913年にはライオン講演会を開催。製品を使うことによる効果やその背景を科学的に理解してもらい、人々の健康意識を向上させようと考え、実施していたと記録に残っています。

1913年の講演会の様子。「口腔衛生講演会」と題したところ、ほとんど人が入らなかったため、「社会講演会」と銘打って開催した

その後も、心置きなく歯をみがける「洗面所」の図案を一般公募したり、オーラルケアの啓発映画を制作して全国で上映会を行なったり、「第1回学童歯磨教練体育大会」(現「全国小学生歯みがき大会」)を開催したり、さらには日本初の児童専門の歯科診療施設「ライオン児童歯科院」を設立するなど、現在にまで続くオーラルケア普及活動を次々と実施していきました。

1921年に設立された「ライオン児童歯科院」。日本初の児童専門の歯科医院としてオープンした。子どもが怖がらないように、壁や天井には動物の絵を描くなどして工夫を凝らしていたという

当時は「習慣づくり」という感覚は明確に言語化されていなかった時代だと思います。ともすると、単にハミガキの市場を拡大するための宣伝だったと見えるかもしれません。

しかし、二代目は「歯をみがくことは本来面倒なことで、当時の人々にとっては関心のないことだ」と認識したうえで、それでも「歯みがきを広めることで社会はより良くなるはずだ」と覚悟を決め、人々の興味関心をひくための創意工夫を行なっていました。

人々に寄り添い、生活のなかに浸透するまで粘り強く活動を行ない、応援し続ける。いまのライオンの「習慣づくり」にもつながる二代目のこの精神を、今後も受け継いでいきたいと考えています。


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