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良い経験が子どもを育てる?子どもたちにできる脳科学的アプローチ。

子育てには楽しさや喜びがある一方で難しさも伴います。これは経験した方なら誰しもが感じることではないでしょうか。多くの関連書籍が毎年のように出版されていることも、正解のない育児に答えを求める需要が高いことの表れと言えるかもしれません。
では何故、子育ては難しいのでしょう。実はその理由は、私たち一人ひとりの知識の不足ではなく、人類の進化の過程に隠されているかもしれないのです。
だとすれば、私たちはどのようにして、子育てと向き合えば良いのでしょう。日々少しずつでも取り入れられる習慣を身につけ、我が子の成長を上手く支えていくことができないでしょうか。
今回は、脳研究者によって書かれた育児本『パパは脳研究者』(池谷裕二・著/扶桑社)を参考に、子育てについて科学的に見つめ直してみたいと思います。


親は子育てに「向いていない」?

同書の記述で編集部が最も驚かされたのは、「子どもは親の言うことを聞くようにできていない」「親もまた、そもそも子育てするようにデザインされていない」という2点でした。まずは、これらの背景である興味深い科学的事実をご紹介します。
 
現代のように人類が定住生活を始めたのは、せいぜいここ1万年程度。初期人類の誕生から現在までの長い人類史を1年に換算すると、定住生活を開始した日はなんと大晦日になります。私たちは殆どの期間を、移動しながら暮らす狩猟採集生活で過ごしていたのです。
そのような生活環境で、子育てはどのような形で行われていたのでしょうか。父親は狩りに出なければなりませんし、そもそも当時は父親が誰か分からなかったとも言われています。一方で、母親は授乳が終われば新たな子を身ごもる多産の時代。だとすれば、親だけで子育てを全て担うことは難しかったはずです。
では、誰が子育てを担当していたのでしょう。祖父母にあたるような高齢者の可能性もあるものの、当時の社会の年齢構成と平均寿命から考えると、子どもたちに対して人口が少なすぎ、圧倒的に人手不足です。同書では、子どもたちが子育てを担っていたと指摘されています。兄姉や近隣の子どもたちです。

子どもは、子どもに世話をされてきました。だからこそ、子どもは、親だけでなく子どもの言うことを聞くようになったといいます。このことを示す実例として、海外に引っ越した家族が挙げられています。
現地の学校に通う子どもたちは瞬く間に現地の言語を習得し、特に小学校低学年以下ならば日本語よりも流暢に話すようになるでしょう。学校よりも家で過ごす時間の方が長くても、親が話す日本語よりも、子ども同士の会話を通じて習得した現地の言語を話すようになるのです。
言い換えれば、親と話すために使う日本語よりも子ども同士で話す外国語を優先していることになります。これこそが、子どもが大切にしているのは親との会話ではなく、子ども同士の会話であるということを示す証拠であると書籍では述べられています。
 
これは長きに亘る狩猟採集時代に進化の過程で作られた人類の設計なので、私たちが子育てに悩んだり苦しんだりしたとしても、自分を責める必要は無いと言えるでしょう。同時に、個人の努力だけでこの設計そのものを変えることは難しいと考えられます。そこで、この事実を認めた上で、子どもをもつ親に出来ることを考えていきたいと思います。

3歳が節目になる脳科学的理由

ヒトの神経細胞は、持って生まれた数のうち約70%が3歳までの間に失われ、約30%が残ることが分かっています。これは、赤ちゃんが生まれてから成長していく過程で、周囲の環境に適応するためだと考えられています。赤ちゃんは産道を通って生まれるまでは、どんな環境で生きることになるのか分かりません。そのため、必要以上に沢山の神経細胞を持って生まれてきて、成長の過程で、実際に必要な神経細胞だけを残し、不要なものを捨てていくことで環境に適応していくのだそうです。
 
赤ちゃんが、このような生存戦略を持っていることを踏まえ、同書では「3歳までに親がどんな子供に育てたいかをしっかりと考えて、働きかけることの意味が大きい」と述べられており、具体的には「よい経験をさせる」ことが推奨されています。
その理由は、「才能という『反射力』が育つかどうかは、遺伝と環境が半々だから」と説明されています。池谷氏の言う「よい経験」と「反射力」について、詳しく見ていきましょう。
 
まず目を引くのは、「才能とは反射力である」という主張です。反射力とは、「ある状況において無意識に脳が作動して、自動的な計算によって正しい答えを出すことのできる能力」と同書では定義されています。
プロ棋士の妙手や鑑定士の目利きなど、凡人では不可能と思えるようなことも、長年の経験から生じる自動的な反射であり、経験が優れていれば、自然と優れた反射が出来るようになると言います。
 
また、これまで行われてきた様々な研究から、才能は生まれつきのものばかりではない一方で、遺伝的な影響を色濃く受けるものもあることが分かっています。ただし、後者の代表的な例である「絶対音感」ですら、必要な遺伝子を持って生まれただけでは不十分で、幼少期にトレーニングが必要だそう。こうした研究結果から、筆者の見立てとして「才能に対する遺伝と環境の影響は半々」と述べられています。

これらのことから、「子どもたちの才能という反射力を育てる上で重要なのは、子どもたちによい経験をさせることだ」という提言がなされている訳です。
本人が、どんな才能を持って生まれてきたのかは分かりません。現代の遺伝子解析でも、具体的にどの遺伝子がどの能力に関係しているかはっきりしないそうです。
しかも先ほど述べた通り3歳までに約7割の神経細胞が失われるのですから、それまでの間に色々な経験が出来る環境を作ってあげることの重要性が分かります。では、その「よい経験」とはどのようなものなのでしょうか。

よい経験ができる環境づくりの習慣

池谷先生は、幼少期の子どもにとっては、知識よりも五感体験や忍耐力を重視することがよい経験だと言います。また、疑問を抱く力や知識欲、論理力、推察力、対処力、柔軟性、傾聴する力なども大切な養成ポイントとして挙げられています。しかし、これらの項目を見ると「どれも大切だろうけど、すべてのことをバランスよく経験させる環境を用意するのは難しい」と思ってしまいます。

そこで私たちは、日常に習慣として取り入れられることが何か無いかと考えながら、同書を読み込んだところ、一つのヒントを見つけました。それは、「認知的不協和」を避けることです。
認知的不協和とは「自分の思惑と現実が矛盾していることにストレスを感じる」状態のことを指します。私たちにはこの矛盾を解消しストレスをなくそうとする心理が働きます。

有名な例としてイソップ童話の「すっぱい葡萄」が紹介されています。高い木になっている葡萄が食べたいけど手が届かないキツネは「あんな葡萄はどうせすっぱいに違いない」と諦める、つまり「初めから欲しくなかった」と自分の認識をすり替えることで、現状を納得させるのです。

この認知的不協和の解消は子育てにおいても注意が必要です。なぜなら、子どもへの褒め方を誤ると、認知的不協和の影響で、本来好きだったことをやめてしまうことがあるからです。

同書では、教育心理学で良く知られている現象として、「絵が好きな子どもの絵を褒めると、その子は絵を描くのを止めてしまう」という例が挙げられています。

親はつい頑張っている子どもに対して「上手だね」などと褒めてあげたくなるものです。しかし、「子どもは、最初は絵が好きで描いていたのに、褒められたことで「褒められるために絵を描いていたのかも」と思い込んでしまいます。「絵を描くこと」の動機づけの認識にズレが生じることで「認知的不協和」となり、その解消のために本来好きだった「絵を描くこと」を止めてしまうという例です。

ではどうすれば良いかというと、「行為」ではなく「結果」を褒めると良いと言います。絵の例で言えば、「この絵が好きだなぁ」など行為には触れない表現が望ましいのだそう。これはテストの成績でも同じで、「がんばったね」ではなく「良い点を取ると気持ち良いね」や「次も良い点が取れると良いね」などが推奨されています。
これらの事例を見る限り、結果への褒め方も「評価」ではなく「感想」が良いのだろうということも考えられますね。
 
同書によれば、褒める時だけではなく、叱る時にも認知的不協和に留意すると良いようです。テレビゲームを止めさせる際、「勉強しなさい!」と強く叱るグループと、「そろそろ勉強始めたらどう?」と優しく諭すグループを比較した実験では、叱られた方は「ゲームがすごく面白かった」と答え、諭された方は「そんなに面白くなかった」と答える傾向があったと言います。
これは、強制終了させられた場合はゲームの面白さに変わりがない一方、諭されて止めると「続けることはできたのに自分で止めてしまった」つまり「やりたかったはずなのに止めた」という認知的不協和が生じ、それを解消するために「そもそもゲームがそんなに面白くなかった」と思い込もうとするためと考えられています。
結果として、親が優しく諭す接し方を辛抱強く続けると、子どもはいつしかゲームに対する興味を失ってしまうことがこの実験では証明されたそうです。少なくとも脳科学においては、何かを止めさせたい時に叱るのは効果的ではないということが書籍の中では述べられています。
 
確かに、先に述べたような五感体験や忍耐力、疑問を抱く力や知識欲、論理力、推察力、対処力、柔軟性、傾聴する力、これらすべてを育むような環境を用意するのは大変です。
でも「認知的不協和」を避けることを心掛けることで、子どもたちが「本当に好きなこと」にのびのびと取り組むことができる環境に近づけることができます。結果的に、子どもたちが持って生まれた「才能という反射力」を育てるきっかけに恵まれるのではないかと考えられます。
 
日常生活の中では、子どもを褒めることも、叱ることも、それぞれ必要だと思います。しかし私たちは、なかば無意識的に子どもたちを褒めたり叱ったりしてしまいます。今回は子どもたちの認知的不協和に着目したコミュニケーションの方法を取り上げましたが、これは科学的アプローチの一例にすぎません。
 
子育ては、親が子どもに何かを教えるだけではなく、子どもたちから学ぶことも多いですよね。
脳科学などを始めとする様々な領域で蓄積された知見を親も学ぶことで、今まで知らなかった新たな発見があるのではないでしょうか。その中でできることから取り入れ、行動に移すことで新しいコミュニケーションが生まれ、子育ての習慣をより前向きなものにできるかもしれません。
 
LION Scopeでは、「習慣」についてこれからも広く・深く探究していきます。みなさんも「習慣」について一緒に考えてみませんか?

参考文献:池谷裕二『パパは脳研究者』(扶桑社)

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